2011年12月24日土曜日

無事退院いたしました by 篠沢礼子

主人はCTの検査の結果も血液検査の結果も異常なく、
呼吸器の設定が合わなくなっていただけなので、
設定を変えて無事20日(火)に
退院することが出来ました。

11月と12月の2ヶ月近く何となく不安に過ごしていたので、
いろいろの機能が衰えてしまったのがすごく残念です。
でももう今までの様にCO2が溜まる心配はないと言うことなので
ホッとしています。
私も2ヶ月近く不安だったので少しホッとしています。

ただ本人は元気で21日(水)に
「明るいはみ出し」のゲラが届くと
もう毎日一生懸命チェックを入れています。

来年には本になりますので是非とご覧下さいませ。

2011年12月11日日曜日

その後の主人について  by篠沢礼子

主人はやっと7日(水)にICUから出ることが出来ました。

でもまだCO2の減り方が遅いのでCTの検査をすると言われてしまい
またガックリしてしまいました。
何か原因になるものがあるかどうか?、

でもすべて調べていただく事は良いこと思うことにしました。
「8日は開戦の日で2年生だった」とか、
「唇が噛んで痛い」と先生に言うと
先生はどうして良いか解らず困っていると、
「消毒」と書いたり、少しずつ元気になって
来ているのではと思っています。

9日にはCO2が減ってきているとのことなので少しホットしています。
7日は「着替えたいの?」と話しかけても反応が鈍いので心配でした。

もともと肺活量が少なかったので「肺が弱いのか?」と考えたりします。
まだ自分の呼吸器になっていないので先は長いのかなと思います。
早く元気な主人になってもらいたいものです。

ともかく心臓とか肺炎でないだけ良いと思うことにしています。
早くいいご報告が出来るようにと願っています。

2011年12月3日土曜日

主人が緊急入院致しました。 by篠沢礼子

主人は11月から何か?スッキリしない状態が

続いておりました。
酸素が90~92、高くて93という値が続いていました。
ここのところ仰向けに寝ると苦しいと言って
斜めに寝ていました。
呼吸器の設定を変える時期に来ているのだと軽く考えて
来週の金曜日に病院に予約を入れました。

ところが昨日、ナースさんに「心不全の症状だ」と
言われたのでビックリしてしまいました。
呼吸器の設定の問題だけと考えていたので・・・。
心臓など考えてもいませんでした。

そこで昨日緊急入院致しました。
ところが心臓でなく、やはり呼吸器の設定が合わなくなり
二酸化炭素が70%になっていたとのことでした。
二酸化炭素を吐けなくなっていて苦しかったのでした。
酸素と二酸化炭素の問題でした。

本当に難しい病気と思いました。
私は呼吸器を着けていれば、
二酸化炭素は普通に吐けているものと思っていました。
そうでないとはじめて知り、己の無知に悔しくなりました。

でも肺も心臓も異常なく、いろいろ検査しても今のところ
異常がないということなので、良いと思わなければと
思っております。

昨日主人は唯々疲れて寝ていましたが、
今日は「2年前とおなじ病室か?」とか
「桜が紅葉してる」とか、「10回も血を採られた」とか筆談もし、
2時間くらい椅子に座って
リハビリをして戴いたのでホットしました。

救急車の中で酸素が63に下がったときは
もう主人は助からないのではないか?
と本当に怖くなりました。
先生に連絡が取れ、酸素を入れると98などと値が上がると
主人の顔色が赤みを帯びてきてホッとしました。
次は「私が解る?」とか聞いて、頭は大丈夫かと心配になりました。

それにしても酸素だけでなく二酸化炭素の問題とは
本当にビックリしました。
本当に一般的な病気でないと大変なんだと実感しました。



2011年11月20日日曜日

テレビを見て下さった皆様へ by 篠沢礼子

17日の「生と死を見つめて SP」を見て下さいまして

本当に有り難う御座いました。

皆様からとても良かったと ブログ、メール、お電話やお手紙など戴き
心から厚くお礼申し上げます。

私自身見ながら泣いてしまいました。
泣いてしまったと言って下さる方が沢山いてくださり、
本当に感激です。

主人も「とても良かった。」と言っております。
そして「長山藍子さんに感謝」と言っております。

長山藍子さんのナレーションが親身な心が伝わって来て素晴らしかったと
皆様に言って戴きました。
長山藍子さんは主人の良さをよく分かって下さっている方です。

主人がこの病気になった年に三越劇場の舞台に伺ったとき
「筋肉の病気になったの」と私が言うと
「筋萎縮性側索硬化症」と正式な病名をおっしゃったので
本当にびっくりしました。
以前ALSのドラマで奥さん役をやったことがあるので
「病気のことはよく知っている」との事でした。

そのとき「これからが大変よ。」とも言われました。
そして楽屋の戸棚の上にあった上等のバナナを5,6本とって
「これ食べられるかしら?」と手渡してくださいました。

あまり親切にして戴いて涙が出てしまいました。
ご自身も舞台の合間なのに、主人の事を心配してくださって
本当に親切な方なんだな・・・・・と感激しました。

主人の自伝的小説
「明るいはみ出し」でぜひとも妻礼子役を演じて戴きたいと思います。

実現します様に皆様の応援よろしくお願い申し上げます。



2011年11月12日土曜日

11月17日夜7時からのTBS「スパモク!」に主人が出演します。 by 篠沢礼子

11/17(木)夜7時からTBSスパモク!にて
映画「アントキノイノチ」の原作者さだまさしさん、
主演 岡田將生さん&榮倉奈々さん出演
MC:名倉潤さんの番組

「孤独死ドキュメント・・・生と死を見つめてSP」のコーナーに
主人が出演します。

ぜひ見て下さい。



2011年11月9日水曜日

11月2日の講演会のこと by 篠沢礼子

11月2日の主人の声の再生による津田ホールでの講演会は、
前日に主人が発熱した為、本当に声の再生での講演会となりました。

主人はスカイプでの参加となりました。
半分は声の再生、そしてのこり半分は私が原稿を読みながら、
合間に主人から聞いたエピソードを私が喋るという形にさせて戴きました。


本当に医学研の中山様はじめ皆様方、
都立神経病院の本間様、ウオンツの岩木様そして
参加下さった皆々様に心から感謝致しております。

声の再生の大切さを実感した講演会でした。
声の再生がなければ講演会は成りたたなかったと思います。
本当に有り難いことです。
主人は微熱が続いたので7日(月)に東大病院で精密検査をして戴きました。
結果は水分不足とのことでした。

ここのところ主人は以前より飲み込みがしにくくなっていたので、
水分が不足してしまったようです。
ここのところの温度差で風邪も引いたかなと思いますが、
何でもなくてよかったです。



2011年10月31日月曜日

声の再生の講演会のこと by 篠沢礼子

声の再生の事ですが、
2月頃からはじめて本間さん、岩木さんのお二人が
主人の過去のテレビの録画から、主人の声を
辞書を作るようにとって下さいました。

すごく労力のいる作業です。
その過去のしゃべりの言葉を
今の主人の原稿に当てはめて作って行くのです。


前もって声を失うのを知っていれば、
自分の声を前もって録音しておけば
声の再生が簡単にできるそうです。
主人の場合は、声を失う事を知らなかったので
大変になってしまいました。
前もって声を貯金のようにとっておく必要性を
知って戴くための講演会と思っています。
ぜひいらして下さいませ。

2011年10月17日月曜日

津田ホールでの講演のこと by 篠沢礼子

「声の再生の講演」ですが
埼玉のALS協会支部で六月に講演したとき、
声の再生と、主人の原稿を読みながら、
妻の私が主人から聞いたエピソードをしゃべるという講演会を
いたしました。

それがとても良かったというので、今回も私のおしゃべりも
させていただく事になっております。

主人は病気になって弱音を言わない人なので、わたくしが話すしか
ないので私が闘病については、話させて戴こうと思います。

よろしくお願い申し上げます。

2011年10月15日土曜日

津田ホールで「声の再生」を取り入れた講演を行います。 by 篠沢秀夫

財団法人東京都医学総合研究所主催の都民講座で、
私の「声の再現」を交えて講演いたします。
いらしていただければ幸いです。

『神経難病の方の「伝えるこころ」をつなぐ知恵と技①』

日時:平成23年11月2日(水)午後2時〜3時半 (開場午後1時)

会場:津田ホール
入場無料
事前申し込み制


詳しくはこちらをご覧下さい。
http://www.shinozawa-kyoju.com/_userdata/20111102tominkoza.pdf

2011年9月15日木曜日

今年も軽井沢に行けました by 篠沢秀夫

今年も軽井沢の別荘へ行けました。

発病以来三夏目です。
去年はまだ、自動車を出て、支えられて段々をあがって
家に入り寝室まで歩きましたが、
今年は車椅子に乗り、何人もに押され引っ張られて
家の向こう側へ回り、テラスから入り、寝室のベッド脇まで車椅子です。


おお、一週間ほど隣り町の御代田の病院にいてから
三週間ほど別荘にいて訪問看護を受けましたが、
その間、何度もマスコミの取材がありました。
親切な人たちで、ADは介護士のように私の世話をしてくれます。

帰京の前日、八月二十九日、娘の運転の車に車椅子を積んで、
碓氷峠の見晴台に行ったときもマスコミの撮影付きでした。

懐かしい場所です。
子供たちは三歳から私が軽井沢銀座から山道を歩いて上り、
上でバスやタクシーで来た家内や私の母と合流したのでした。
今も東京の家のピアノの上に飾ってある娘、茜ちゃんの五歳ころの写真に手を引いている私の隣は、学生時代の秋篠宮様とその学友です。
私と宮様は馬術仲間でした。
この見晴台でばったり会ったのでした。

帰京後、九月十二日、二年振りに東大病院に行き、
外来で久し振りにT先生に診察して頂きました。
名札で先生の下の名前を確認、楽しく筆談しました。

歩きが弱った以外には大きな悪化変化は無しでした。
頑張ります。 

2011年7月29日金曜日

8月は軽井沢で過ごす予定です by 篠沢秀夫

八月四日木曜、娘茜の運転する車で
軽井沢の山小屋へ参ります。


斜面に建っているのでちょっと段を上ります。
去年はそこから入りましたが、
今年は少し足が弱くなりましたので、
予定としては、車椅子で庭を反対側に回り、
テラスから入るのです。

うまく行くか、出陣の気持ちです。

テレビ局の人が同行してくれるので男手があります。
翌日五日から御代田の病院に介護入院、
一週間ほどで別荘へ戻り、
東京帰宅は八月末です。

2011年7月21日木曜日

松島トモ子さんのラジオのこと by 篠沢秀夫

先日会いに来て下さった松島トモ子さんが
ラジオで私のことを語って下さいます。


七月三十日土曜朝九時TBSラジオの
永 六輔さんの番組「その新世界」に
松島トモ子さんがゲストとして出演なさいます。

2011年7月15日金曜日

松島トモ子さんが取材に見えました by 篠沢秀夫

松島トモ子さんが取材に見えました。
家内とは向こうで長く談話しておられました。

ラジオの番組ですから話のできない私とは、
難しいですね。
それでも来て下さったのは偉いですね。 

2011年7月13日水曜日

学習院大学文学部同窓会総会に出席しました by 篠沢秀夫



六月二十六日、学習院大学の同窓会、桜友会」の文学部同窓会総会に 会長として出席しました。



                                                                                                       

         
挨拶は再生音声でしてから、更に幹事の奥津さんに代読して頂きました。


















講演中は二階の控え室で窓外の大木群の緑を楽しみ、
それから三階の交流会に参加しました。
脇にずっと再生音声の先生がいて、
声をかけてくれる人たちの名前を入れて
「お久しぶり」といった挨拶の声を再生してくれました。

会場の目白は家から近く、
介護タクシーで目白通りを
往復に走るのが懐かしかったです。




2011年6月24日金曜日

ALS協会埼玉支部交流会での講演のこと by 篠沢秀夫

六月十八日(土)、さいたま市大宮のソニックシティホールで、

ALS病の協会の埼玉支部の交流会で、
講演をさせて頂きました。

今ある姿を楽しむ古代の心を把握するに至った
来歴を語りました。

事前の原稿を三分の一ほど、
復元音声と共にスクリーンに
文字で示して下さりました。
残りは家内が読み上げ
「難しいこと言ったらダメよ」と
家内に釘を刺されたということも家内が読上げ、
色々補足していました。

補足には皆様の笑いがありました。
楽しい講演会でした。
 
関連ブログ
http://plaza.rakuten.co.jp/takekos1/diary/201106190000/

2011年6月17日金曜日

私への応援メッセージを集めた本「奇跡を願って」の贈呈式のこと by 篠沢秀夫



6月13日(月)午後、私篠沢秀夫に向けた闘病応援メッセージを二百人以上から集めた本「奇跡を願って」(アートコミュニケーション 6月6日刊行)の私への贈呈式パーティが、
ホテル・ニューオオタニで行われました。




クイズダービー
以来のお仲間
竹下景子さんが私に本を、












長山藍子さんが花束をお渡し下さいました。




何と、その少し前六月四日に私が家族と十六人のお仲間とうかがった野田市の
上花輪歴史館の高梨家三十代目当主の
兵左衛門氏(私と同年キッコーマン醤油社役員)と節子夫人が参加して下さいました。

また、私よりずっと年長の横浜の崎陽軒会長の野並豊氏も。
そしてこれも私と同年の元農林水産大臣島村宜伸氏も。
それから永谷園の永谷宗次夫人京子様も。
日比谷高校同級、東大名誉教授井村順一氏も。
さらには四日に上花輪に来ていたフランス地方旅行ツアーの
お仲間深谷純子さんと浅香立子さんがここへも来てくださいました。

カメラマンも大勢いて、その夕方のテレビニュースに出ていたそうです。
景子ちゃんが私のほっぺにチュッとしたシーンは出たのでしょうか。

楽しい会でした。

2011年6月16日木曜日

教授への闘病応援メッセージを集めた本が出版されました by 管理人

篠沢秀夫教授のALS治病を願って闘病応援メッセージ!
「奇跡を願って」
監修:篠沢礼子

篠沢教授サポーターズ編

㈱アートコミュニケーションより
2011年6月6日オンライン書店bk1限定発売

教育界、芸能界、芸術界、文学界などあらゆる分野の方々からの
教授への応援メッセージが掲載されています。

詳細は㈱アートコミュニケーション
http://www.artcommunication.jp/magazine/message.html

オンライン書店bk1
http://www.bk1.jp/product/03416543?&partnerid=02vc01


2011年6月13日月曜日

六月四回目の外出、学習院大学同窓会のこと by 篠沢秀夫

六月の四回目外出は、二十六日(日)午後一時半から四時までの
学習院大学の同窓会桜友会(創立九十周年)
文学部同窓会(創立三周年)の総会です。
終わりの一時間は、懇親茶話会。
会長として参加します。
挨拶は、声の録音を元に口調を再生する技術の研究者が、
私の原稿の私の声での読上げを用意してくださってあります。
頑張ります。 







〆切りは過ぎていますが
受け付けていますので
ご都合の付く方はお問い合わせ下さい
info@shinozawa-kyoju.com





2011年6月10日金曜日

千葉の上花輪歴史館へ行ってきました by 篠沢秀夫

この六月には外出予定五回で、張り切っております。


もう行って来たのは、六月四日土曜の千葉県野田市の上花輪歴史館です。

柏餅祭り。平成十二年に知って以来、
年に何度もお仲間と通っていた江戸時代からの
お屋敷と三千坪の大庭園です。

当時からのこの上花輪地区の名主、高梨家は
醤油作りを始め、徳川将軍家に納めていました。
今はキッコーマン醤油会社です。
高梨家三十代目御当主の兵左衛門氏は、
私と同じ昭和八年生まれ。
私は六月六日、氏は六月二十五日です。
節子夫人は学芸員資格を取り、
庭園内に建てた展示棟に高梨家の歴史品を展示しています。

季節によって行事があるのと同じに
展示品も変るのがしっかりしています。
私がこの病気になる少し前から、
瓦の修理や木々の手入れのために閉館になっていたのが、今年から再開です。
久し振りにここへ来られて、大自然の中にいられて嬉しかったです。
車椅子の私のために、砂利道に次々とベニヤ板を敷いて進めて頂きました。



そして皆で町の中へ移動、高梨家の地所でやっている大きなイタリア料理店コメスタ(お元気?)へ。いつもここで私はマスターと声を合わせて「オオ ソレ ミーオ」とイタリア語で歌いました。お仲間は十六人。

それに私たち夫婦と高梨夫妻、娘茜夫婦と孫娘湊、ヘルパーさん二人と
介護タクシーのドライバーと十人。
計二十六人で別室を埋めて
楽しく会食(私はスープなどだけ)。


マスターは、六月生まれの高梨氏と私と娘の夫大輔君のために、
イタリア語でハッピーバースデイを歌ってくれました。









                  
自宅発進午後一時半、帰宅九時半でした。

外出の自信がつきました。

2011年5月28日土曜日

児玉清様の追悼文のこと by 篠沢礼子

このたび月刊文芸春秋に
児玉清様の追悼文を主人が書かせて戴きました。

15枚ということで、さすがの私も心配しましたが
主人がお引き受けすると言うのでお受けしました。

男の方の友達は学生時代からずっと続くというのは
珍しいとのことです。
仕事のことで違ってくるそうです。
途中途絶えたりするそうです。
長く続いたのも児玉様のお人柄のお陰と思っています。

心配で普段言わないのですが「何枚かけた?」と
つい聞いてしまいました。
無事書き上がりました。
発売は6月10日とのことです。
ご覧戴きたく思います。

2011年5月22日日曜日

児玉清様のお通夜に伺わせていただきました by 篠沢礼子

児玉清様のお通夜に伺わせて戴きました。

遺影はとてもお元気そうで、
やさしく笑っていらっしゃるとてもいいお写真でした。
何ですかお写真を見ると涙が出てしまいました。

以前から主人は学者のせいか浮き世離れした性格ですが、
児玉様はとても気遣い下さるご立派な方で
何かとお世話戴いておりました。
病気をしてからは主人の車いすを押して戴いたり、
主人の本の「命尽くるとも」の表紙の写真の撮影をお願いしたり、
またその本のためのテレビ撮影の為に自宅に来て戴いたり、
病気をいいことに甘えさせて戴いてばかりおりました。

病の床にありながら、本の番組スタッフの方に、
「先生の本を何とかしてあげて欲しい」と
おっしゃってくださっていらしたと伺いました。
ご自身が病の床に伏せても、最後まで主人をお気遣いいただき、
なんとご親切なことでしょう。
感激して涙してしまいました。

お奥様に「ご迷惑ばかりおかけして申し分け御座いません。」
とご挨拶させていただきましたら
「そんなことございません。」とおっしやって戴きました。
さぞご看病は大変だったと思います。
本当にご立派で優しいお奥様でいらっしやいます。
ご家族を残して逝かれることは
さぞご無念であったと思い心が痛みます。

主人は手が不自由になっておりますが、最後のお焼香も何とか出来ました。
最後のお別れが出来て本当に良かったです。

ご冥福を心からお祈り申し上げます。

2011年5月18日水曜日

親友、タマチャンこと児玉清君の訃報  

あんまり悲しくて、悲しいと思うと悲しくなるので

悲しまないようにしています。

 
心からご冥福をお祈りしています。
 
 
篠沢秀夫

2011年5月6日金曜日

日本ALS協会埼玉県支部総会での講演を行います by 篠沢秀夫

六月十八日の講演は、私が書いた文を家内礼子が読み上げます。
長山藍子さんが礼子を演じて、演劇上演して下さるとのことで、
その台本の元にする夫婦自伝物語「明るい はみ出し」を
私は仕上げ、今刊行準備中です。
明るい はみ出しの礼子は、読み上げるだけでなく、
付け加えの感想を述べます。笑い。
文は事前に用意するか、その場で少しづつ手書きするか、
これから決めます。 

2011年5月2日月曜日

平成2年3月11日仙台の「亀杉そば」さんで書いた色紙 by 篠沢秀夫






平成8年に姪が仙台に行った際
偶然見つけて撮ってきた写真です。


日付を見ると3月11日!


なんたる偶然!











おお、仙台へ行ったのは、僅か数回です。
三月とは何か。
今、娘茜に二階の本棚から
昔の日誌を探しに行ってもらっています。

新聞社の講演は軽井沢に戻ったから夏でした。
家内同伴の学会では遊覧船に乗ったので秋か。
教え子女性の結婚式は
平成八年の第一回フランス地方旅行ツアーの後です。

ワッ、日誌がありました。別の講演です。
平成二年三月十一日日曜日には
「晴 暖 仙台講演 日帰り 富谷町 とみや」 
とだけ書いてありました。
そのとき、そのお蕎麦屋「亀杉そば」さんに寄ったのですね。

そんなに長く色紙を飾って下さるとは感激です。
当時五十六歳でした。

2011年4月29日金曜日

遊びに来てくださった友人と by 篠沢秀夫

典子さん、テンコちゃんは学生時代に大評判の美女です。
近日来て下さって嬉しかったです。
背が高いのでびっくりしました。
美人ってそういうものなのですね。

2011年4月22日金曜日

私の音声復元に尽力して下さっている皆様と by 篠沢秀夫
















私の音声復元について、
繊細高等な技術でお世話頂いて有難うございます。


私は理工系に弱く、ラジオがどうして鳴るのかさえ分かりません。
スタッフの皆様を心から尊敬しています。
すべてお任せします。
宜しくお願い致します。 

篠沢秀夫

2011年4月18日月曜日

主人の声の再生 by 篠沢礼子

16日(土)に主人の「声の再生」をして下さるために
医学研(旧神経研)の本間様、中山様、松田様、岩木様の4人の方が
いらして下さいました。

丁度主人がマッサージ椅子に移動したときに、

「元気でいたいです。ワハハ・・・ワァ・・・・」

と、主人独特の喋りがちょうど復元出来て、
本人はビックリしていましたが、
久し振りに聞いた自分の声にとても喜んでいました。

本間さん方々は2月に病院にもいらして下さっていたので、
「病院よりずっと元気だ」と言われ、
捻挫で落ち込んでいた私は少しホッと致しました。

声の復元ですが、録音状態の良い50分テープから
「あ」とか「い」とか一つ一つの音をとって作るので
完全には全部の音がとれていません。
これから録音状態の良いテープを見つけようと思います。

そして長男の声が主人とそっくりなので、
長男に「あ」とか「い」とか一つ一つ言ってもらい
それを付け足して完成させようとも考えています。

そして驚くことがありました。

本間さんが長男に、「フランス語のA.、B, C,・・・X, Y、Z」を
発音して欲しいとおっしゃいました。
長男の顕は大学で第二外国語はドイツ語だったので
フランス語は全く知りません。
私が、ア、べ、セ-、とふりがなをふって読んで貰いました。

録音を聞いた本間さんは、感激して泣いていらしゃいました。

そして私に「聞いてみて」と言われ、
聞いてみましたら、主人の発音と同じなので
本当にビックリしました。
主人が喋っているのと錯覚してしまい、
次は顕も病気になるのかと恐怖になってしまいました。

主人は以前フランス語の教科書を何冊もつくりました。
そのときにA,B,C,の発音をテープに入れていました。
その発音と顕の発音が全く同じなので、
本当にビックリどころかぞっとしてしまいました。
声の出し方が同じということでしょうか?

主人にも聞いて貰いましたら
私のフリガナが違っていたので
「T:テーをティって言っている、
Z:ゼードをゼットって言ってる。」
とまず指摘されました。

次に「いい声、フランス語っぽい」と言っていました。
主人もビックリしていました。

本間さん方々は
「ドキュメンタリーで『声の再生作業』を追ってくれないか」とも
おっしゃっていました。

声の再生作業は始まったばかりですが、
元気なうちに声を保存しておけば、
声を失っても、「声の再生」により講演活動などが可能だと
主人がそのお手本を示すことで、
これからの方が、もし病気になっても、自分の声で
話せるようになる、その普及活動のお役に立てればと思います。

11月2日に、津田ホールでの「主人の講演会」は
再生した声でやることになります。

2011年4月15日金曜日

ICT救助隊主催コンサートの写真 


4月3日のICT救助隊主催コンサートにて

コンサートへ行く時に、ちょっと足首を捻挫してしまいました。

痛みは減り、今はマッサージ椅子まで歩けるようになりました。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
下記をクリックするとコンサートの動画も見られます。

http://www.youtube.com/watch?v=3_09JRgrZ-4


2011年4月7日木曜日

東日本大震災で被害を受けた方を支援するコンサートに主人と出かけました by 篠沢礼子

4月3日に行われたチャリティーコンサートは
オーボエとソプラノの組み合わせで
とても素晴らしいコンサートでした。
地震の被災者でいらっしゃる
いわき市の方も参加して下さいました。
(読売新聞の記事に篠沢教授も参加とあり、
ビックリしてしまいました。)

福島でもクイズダービーは放映されていたとのことでした。
主人は、東北地方には講演で何度も呼んでいだだきました。
何かお役に立てることがないかと考えてしまいます。

「病気の主人も前向きに頑張っているので、
皆様も頑張って下さいませ。」と挨拶させていただきました。
主人は喋れないので代わりに私が話すしかありません。
慣れないので、失礼な事を言ったのではないかと思ったりして
落ち込みます。

主人はコンサートの前のイベントで、筆談で
「この病気の状態だと、この先どうなるか分かりません。
不安だけでは苦しいです。
『今ある姿を楽しむ古代の心』で暮らしています。
今日、車椅子に乗るために玄関まで歩きましたが、
そこでよろめき、左の足首がぐにゃりとなり、一瞬痛みました。
どうなったか。今はおさまっています。
左足を上げられるか、やってみます。
上がったら御安心ください。」と言いました。

そして足を上げて見せました。
いわきの皆様も笑って喜んで下さいました。

本当に主人はいつでもチャメッ気がある人です。
軽い捻挫のようでしたが、もう今は痛みも減ったようです。

私もビックリしてしまい、
とっさに主人を起こそうとしてまた腰を痛めてしまいました。
慌てるのは本当に良くないことです。
冷静のなることが大事と実感しました。

2011年4月1日金曜日

アラームの音 by 篠沢秀夫 

主人はクイズダービーに出ていた頃、
東北地方でよく講演によんでいただきました。

今回の被災者の方々を思うと心が痛みます。
テレビを見るたびに
講演を聴いていただいた皆様を思い出しているそうです。

主人はALSという難病で療養中で、呼吸器を装着しているため、
今はしゃべることができません。
呼吸器とアラームの音が常に主人のそばにあります。
先日呼吸器を変えたところ、
アラームの音が今までの無機質なものから、
人間味のある音になったような気がするそうです。
呼吸器やアラームの音をそんな風に楽しんでいます。

主人が被災された皆様に向けたメッセージを書きましたので
お伝えします。       
(篠沢礼子)


アラームの音

「波乗り切れ!」って

聞こえるの。

ボクには

そう聞こえる。

トイレに座っていて

ずっと鳴っているときは

「ぬりえキレイ」

と聞こえます。

篠沢秀夫

2011年3月25日金曜日

一日一日、一歩一歩 by 篠沢秀夫

震度5強という地震は、東京暮らしの私には生まれて初めての強震でした。
テレビが横転するかと心配しました。
しかし、その後の放送映像で見た被災地での揺れは
その何倍もの激しさです。
大地が揺らぐのか。
磐石の大地の重みはないのか。
いや、いいのです。
人間は大地に乗っている粒の一つ、一つです。
それでいいのです。
それでも我々には心があります。
心が世界を思い描くのです。
心を抱く体を守って、一日一日、一歩一歩、前進して行きましょう。
明るい心。 
篠沢秀夫

2011年3月15日火曜日

ブログをご覧の皆様へ by 管理人

ブログをご覧の皆様 いつも投稿ありがとうございます。

このたびの巨大地震の被害は甚大で、
被害に遭われた皆様には心よりお見舞い申し上げます。

篠沢教授のブログ及びHPへのお問い合わせや、
非公開希望の情報等がございましたら
info@shinozawa-kyoju.comまでメールをいただければ幸いです。
(特に新宿区近辺の介護ボランティア等の
有益な情報をいただけると助かります。)
尚、お問合わせ全てにご返答はできかねますので予めご了承ください。

※ピアッフェ様よりご指摘のとおり、最近時々コメント数が
ダブルカウントされるようになってしまいましたが、
グーグルのブログシステムによるものですので
ご了承下さい。




2011年3月14日月曜日

巨大地震と計画停電についてBY篠沢礼子

映画の報告の後強い地震があって本当に怖くなりました。看病をしているとゆっくりテレビを見ている時間がないので、後で被災地の状況を見て本当にビックリしてしまいました。

主人は「生まれて初めての震度5弱の大地震、洪水の光景はこの世のものとは思えない。」と言っております。
スマトラ沖の津波は以前テレビで見ましたが、こちらは一カ所でなく被害は多方面で起こっています。
千年に一度の地震とのことですがどうしてこうなったのかと、自然の恐ろしさに唯々震えあがっております。津波が押し寄せる様子は本当に恐怖以外のなにものでもありません。
娘はテレビを見て泣いてしまったと言っております。
被災地の皆様に心からお見舞い申しあげます。

主人の部屋は壁が多いので回りに物が余りおいていなかったので物も落ちず大丈夫でした。呼吸器も何事もなく無事動いていました。丁度看護師さんがいて下さっていたので心強かったです。その後計画停電の話が持ち上がり主人はそちらが気になるらしく、何度も聞きます。今のところ大丈夫と返事しています。東電に電話したのですが、あまり解らないらしく、要領の得ない返事しかありませんでした。呼吸器がついているのですがと言っても解らないようでした。貸し出し用バッテリーはもう無いという返事でした。
呼吸器はバッテリーがあるので何とかなるのではと思いますが、吸引器は携帯用なので充電が無くなる心配があります。
部屋の暖房が電気なのでそちらがむしろ心配です。
ともかく何事もないことを祈るのみです。

2011年3月11日金曜日

「明るいはみ出し」と「エクレールお菓子放浪記」 BY篠沢礼子

ご無沙汰しています。
昨日3月10日は東京大空襲が66年前にあった日です。その昨日10日に「エクレールお菓子放浪記」の試写会がありました。主人の代わりに拝見させてもらいました。孤児のお話で戦前、戦後苦労して生き抜いた少年の話です。孤児院を脱走してお菓子を盗んだのを刑事に見つかり、その刑事がとてもいい人であんぱんを少年に食べさせてくれたのが、お菓子との出会いうお話です。
昔はこんな可愛そうな子供がいたのかと涙なしには見られない作品です。

戦前の食べ物のない時代、そして金色夜叉の熱海のシィーンも自由に演じさせてもらえない軍隊が検閲する時代、そして戦後孤児が沢山いて、アメリカ兵からタバコやチョコレートを貰うなど、それを売って暮らす。今の人には考えられ事、知らない事が次々と出てきます。
5月公開と言うことですが、ぜひご覧下さい。
作者のお話を読みましたら、これが本になるのに15年かかったと書いてありました。
「明るいはみ出し」も15年くらいかかるかもと主人と話しました。
15年だと子供に頼まなければね。とも言いました。
今は本を出すのは本当に大変です。
ともかく本にするために頑張らなくてはなりません。

2011年3月2日水曜日

東北福祉大学のフォーラムと三越劇場の「女の人さし指」についてBY篠沢礼子

3月5日(土)の東北福祉大学のフォーラムに主人がビデオレターで参加させていただいております。
2月24日(木)に水谷せんせいがいらして下さって撮影しました。
主人は「ALSは不思議な病気で熱はないし痛くもない。変な病気と言っておりました。古代の心で生活している(生きている)。家にくる方は家族と同じとも言っていました。」ともかく昔から賑やかなのが好きな人でした。お客様大好きでした。寂しいのが厭なのだとおもいます。
ご興味のある方、お近くの方はいらしてみて下さいませ。
水谷先生はALS患者の方の応援を熱心にやってくださっているかたです。
お話を伺って「本当に患者のことを一生懸命考えて下さっているので、頭が下がる思いでした。」本当に有り難い事と思いました。

明日は長山藍子様のお芝居「女の人指し指」に主人の「明るいはみ出し」実現の夢のために14人
で出かけます。
作:向田邦子先生  演出:石井ふく子先生です。

なんとか「明るいはみ出し」もお芝居になると良いと願っています。

2011年2月24日木曜日

無事退院いたしました。BY篠沢礼子


2月19日に無事退院いたしました。去年の2月は娘と2人で入退院の世話はできました。今年は足、腰が弱っているので2人では怖くて出来ませんでした。どうしてもヘルパーさんの手が必要です。本当に1年で病状が進むという現実を見せられます。ともかく家に無事帰れてホットしたら、ドット疲れが出てブログもご無沙汰してしまいました。

きょうは東北福祉大学の先生が、3月5日のフォーラムに主人がビデオレターで参加させていただくための撮影にいらっしゃいます。

どのような形になるのかよくわかりませんが、ご協力出来ることがあることは有り難いことです。

主人にはこれからもう一度説明しようと思っています。

またご報告させていただきます。

2011年2月18日金曜日

いよいよ明日退院です。BY篠沢礼子

長かった入院も明日で終わりです。
入院中いろいろありました。
まず11月2日に津田ホールで講演予定ですが、それを主人の声を再現して行うという話が持ち上がりました。主人がこの病気を知っていれば前もって声を、あ、い、う、、、、、、というように単独で録音してあれば簡単だったそうです。しかし主人の場合は病気に気づかなかったのでこの方法は無理です。
主人の声を録音した物と、息子の声が主人と似ているのでその両方を組み合わせてやって下さるとのことです。
主人の声が再現できるなど夢のようです。とても楽しみです。
成功するといいと思っています。ぜひ講演会にいらして下さいませ。
そのころ病状がどうなっているかが一番の心配です。

今度の入院で呼吸器を小型に変更する事が出来ました。
主人に全く違和感がなかったのでホットしています。
これで外出が楽になります。今までは重くて大変でした。
バッテリーの内蔵時間も長いので重いバッテリーを持って行かなくてもいいので本当に助かります。
明日からは自宅での生活ですが、入院中いろいろ打ち合わせのお客様に待って戴いたので、また
忙しい生活が待っていそうです。
私も頑張らねばなりません。

2011年2月4日金曜日

お久し振りです。BY篠沢礼子

もう立春になってしまいました。お正月の忙しさはアットいう間に過ぎました。
主人は1月31日にたまに検査をした方が良いので病院に入ってもらいました。
入院はただの外出と違うので、呼吸器、呼吸器の台、バッテリー、吸引器、新しいパジャマ、、パソコン、ヒゲソリ等々紙に書いたらあまりに数が多いのでもうがっくり来てしまいました。入院は本当に体力がいります。民族大移動です。その前の1月19日(土)には朝日新聞の取材の取材を受けました。記者の方、カメラマンの方お二人ともとても良い方で、主人はブルタニュの話をまたしていました。記事になるときはご報告します。
そして2月1日(火)にはテレビ朝日スーパーモウニング(8:00~9:55まで)でALSをテーマにした若い二人の悲しい愛の映画「私の愛、私のそばに」と、そのトークショーに外出した様子が放映されました。2月5日(土)から全国で順次ロードショーです。ぜひご覧下さいませ。
2月28日(金)の読売新聞の夕刊で映画の私のコメントが載りました。それも今度載せます。

2011年1月29日土曜日

新聞記事掲載のこと by 篠沢礼子

1月26日の読売新聞と、1月28日の朝日新聞夕刊に
主人の記事が載りました。

朝日新聞の記事は、
韓国映画「私の愛、私のそばに」の公開に先立ち
開かれたトークショーの際のことです。

読売新聞は、闘病生活や、その中で最近書き上げた
自伝「明るいはみ出し」に関する
自宅での取材記事です。

こちらは読売新聞のインターネット版にも載っていますので
どうぞご覧下さい。(下記のアドレスをクリックすると記事にジャンプします。)
http://otona.yomiuri.co.jp/news/news110126_01.htm

2011年1月25日火曜日

ALSを題材にした韓国の映画「私の愛、私のそばに」の件 BY篠沢礼子

昨日24日ALSを題材にした韓国の映画「私の愛、私のそばに」のトークショウーに主人と一緒に参加させていただきました。この映画は若いカップルがALSと闘うという映画です。ALSに侵されたジュウンという男性をジスという若い女の子が献身的に支えるという「究極の悲しく美しい愛の物語」です。いまこんなにけなげな女の人がいるか?と思うほど偉い女性です。「愛は燃え尽きるもの」と言っていますが、もさにその言葉どおり献身的に看病をしています。私も見習わなければと思いました。

主人が病気になったときの感想を聞かれましたが「死刑囚になった気持ちと返事しました。」本当に出口のない独房に入ったようで、病院が刑務所のようでした。もう外の世界との交流はないと思っていました。まさか主人とトークショウーに出かけるとは考えもしませんでした。
そしてお医者様からは呼吸器が着いたら人手は6人はいると言われました。出来なければ病院に入院となるとも、、、、そうしたら主人が「週に1度きてくれればいいから」と言うのでまた悲しくなりました。また別のお医者様は「悲惨な病気」と言っていると聞かされ絶望してしまいました。本当に残酷で救いようのない病気なのです。
でも主人は前向きで「そのときはショックだった。」と言っていますが、すぐに「古代の心で生きる」
という心境になったようです。これは古代人は自分の回りしか知らないで生きていた。これはいろいろの欲望をすて無の心で生きるということだと思います。それと「礼子の明るさが有り難い」と言ってくれているのでこれからも明るく頑張らなければと思っています。
人間は欲を持つから辛いのです。私も主人がいてくれるだけで有り難いと思えるようになりました。
「明るいはみ出し」の出版と舞台化はこれからの頑張る目標です。
ズーット主人に振り回されているのが有り難いです。

2011年1月15日土曜日

新年に思うこと by 篠沢秀夫

一つ、また一つ、一歩、また一歩、
一日、また一日と、前進を続ける。
今年も楽しい年です。

「明るい はみ出し」の演劇化が楽しみです。 

篠沢秀夫


2011年1月12日水曜日

「文芸春秋」の事 BY篠沢礼子

「死の床より申し上げます 誰よりも深く愛子様の教育を憂う 篠沢秀夫」 のタイトルで主人は、皇室のこと学習院の事を書いています。
私はそんな事を書いていいのと心配しましたが、主人は皇室と学習院を愛するが故いろいろ書きたかったのだと思います。訪問医の先生もお読みになって「こんな事書いていいんですか?」と心配してくださいました。でも主人はいいと思っているので仕方ありません。
「文芸春秋」の方は読者の方が「今の皇室をとても心配しているので、先生なら読者の方も納得するのではないか?」「ぜひ書いてください。」と言ってくださったので、主人はお引き受けした次第で御座います。ぜひお読みいただきたいと思います。

 

2011年1月10日月曜日

「文芸春秋」のこと BY篠沢礼子

あけましておめでとうございます。昨年は応援有難うございました。
本年もよろしくお願いいたします。

今書店に出ている「文芸春秋」2月特別号で 「死の床より申し上げます 誰よりも深く愛子様の教育を憂う 篠沢秀夫」という 過激なタイトルで主人が原稿を書いています。
ぜひともお読みくださいませ。

2011年1月9日日曜日

夫の新作「明るいはみ出し」が完成しました BY篠沢礼子

1月8日夜8時10分に「明るいはみ出し」が書きあがりました。印刷が仕上がったのは9時30分になってしまいました。途中トラブルがあり、A4195枚の印刷は大変でした。195枚の分量は凄いです。
印刷だけでも大変なのに、これを書くのは大変な作業だったと思います。6月に長山藍子さんから勧められ書き始めたのですが約半年で書きあげたことになります。
我が夫ながら凄いと思います。原稿用紙では約630枚になります。

ともかくこれの舞台化とか本にするのは主人は「妻礼子と天に任せる」という事なので、何とか実現するよう今年は頑張らなければなりません。ご協力宜しくお願いいたします。